「長年頑張ってくれた従業員を、今度は取締役に登用したい」
中小企業の経営者にとって、信頼できる従業員を役員に迎えることは、人材育成や事業承継の面でも重要な選択です。
本人にとっても、経営への参加や報酬アップなどのメリットが期待できます。
しかし、役員になると、従業員時代とは保障や法律上の立場が変わることがあります。
会社側がその違いを理解し、報酬や処遇を考えておくことが、双方にとって納得感のある役員登用につながります。
1. 役員になると、雇用保険や労災はどうなる?
まず確認したいのが、雇用保険と労災保険の取扱いです。
取締役は原則として雇用保険の対象外です。そのため、役員を退任しても、従業員と同じように失業給付を受けられるとは限りません。
ただし、部長や工場長など従業員としての身分も持ち、労働者としての実態が認められる兼務役員については、雇用保険の対象となる場合があります。
労災保険も原則として労働者が対象ですが、一定の要件を満たす中小事業主等の特別加入制度もあります。
役員を対象にできる民間の傷害保険や業務災害に関する保険などもあります。
ただし、民間保険は公的労災と同じ制度ではなく、対象となる事故や給付内容は異なります。
会社側が就任前に保障の変化を確認し、必要な対応を整理しておくことが大切です。
なお、健康保険や厚生年金については、取締役になっただけで一律に対象外になるわけではありません。
2. 役員個人が賠償責任を負うこともある
取締役になると、会社経営に関する責任も生じます。
会社法では、取締役が任務を怠って会社に損害を与えた場合や、職務について悪意・重大な過失があり第三者に損害を与えた場合などの賠償責任が定められています。
もちろん、会社に損害が発生したからといって、必ず役員個人が賠償責任を負うわけではありません。
ただし、従業員時代とは異なる責任を負う立場になることは、本人にも説明しておきたいポイントです。
こうしたリスクに関しては、役員個人への賠償請求などに備える会社役員賠償責任保険(D&O保険)という仕組みもあります。
対象となる損害や費用は契約条件によって異なりますが、会社側が役員の責任に関する備えを考える際の一つの選択肢です。
3. 解任や住宅ローンにも影響する?
ここは、会社側が意外と見落としやすいところです。
取締役は従業員と同じ解雇ルールではない
一般的な従業員の解雇には、労働契約法上の規制があります。
一方、取締役は株主総会の決議によって解任でき、従業員と同じ解雇規制が原則として適用されません。
ただし、正当な理由なく解任した場合には、会社法上の損害賠償が問題になることがあります。
また、従業員としての雇用関係が残っている場合には、別途その取扱いを確認する必要があります。
住宅ローンの審査にも違いがある
金融機関によっては、会社役員が住宅ローンを申し込む際、本人の収入資料だけでなく、会社の決算書を求められる場合があります。
例えば、三菱UFJ銀行では、会社経営者・役員に対して直近3期分の決算書を必要書類として案内しています。
役員になると住宅ローンが組めなくなるわけではありませんが、本人が住宅購入などを予定している場合は、就任前に確認しておきたい点です。
4. 会社側は「報酬だけでなく処遇全体」を考える
役員登用には、本人にとって経営への参加、裁量の拡大、報酬の向上などのメリットがあります。
しかし、仮に年収が増えたとしても、雇用保険や退職金制度、退任後の立場などが変わる可能性があります。
そこで会社側としては、次のような点を整理しておくとよいでしょう。
- 役員報酬と従業員時代の待遇の違い
- 雇用保険・労災保険の取扱い
- 役員のケガや個人賠償責任への備え
- 従業員時代の退職金・福利厚生の取扱い
- 役員としての権限と責任の範囲
- 任期満了・退任後の復職や再雇用の条件
例えば、これまで従業員として受けていた保障が変わるのであれば、その点を本人に説明したうえで、役員報酬や福利厚生、退任後の条件などを検討することが考えられます。
役員として求める責任と、それに見合う権限・処遇を事前に共有しておくことが、就任後の認識の違いやトラブルを減らすことにつながります。
なお、役員報酬の決定には会社法上の手続があり、税務上も一定のルールがあります。具体的な設計は専門家への確認が必要です。
5. 「執行役員」という選択肢もある
従業員に経営に近い仕事を任せたい場合、必ずしも取締役に登用する必要はありません。
会社によっては、執行役員という役職を設ける方法もあります。
一般的な執行役員は会社法上の取締役とは異なる社内の役職であり、雇用契約を維持しながら、業務上の権限を広げる方法も考えられます。
ただし、執行役員という名称だけで労働者としての扱いが保証されるわけではありません。委任契約型もあるため、契約内容や実態に応じた確認が必要です。
経営判断を担ってもらいたいのか、現場の業務執行を任せたいのか。
その目的に応じて、役職や契約形態を検討することが大切です。
まとめ|納得感のある役員登用のために
従業員を役員に登用することは、会社の成長や人材育成につながる重要な取組みです。
一方で、役員になる本人には、雇用保険・労災保険の取扱いや賠償責任、解任など、従業員時代とは異なるリスクが生じる可能性があります。
会社側がその変化を理解したうえで、報酬・保障・権限・退任後の条件などを丁寧に話し合うこと。
それが、会社と本人の双方が納得して新しい役割をスタートするための大切なポイントではないでしょうか。
参考資料・出典
- e-Gov法令検索|会社法
- 厚生労働省|雇用保険 Q&A(会社役員の取扱い)
- 厚生労働省|事業主や会社役員の労災保険
- 日本損害保険協会|経営者・役員のリスク
- 三菱UFJ銀行|住宅ローンの必要書類
- 国税庁|役員に対する給与
※本記事は、役員登用に伴う労務・法的責任・企業リスクに関する一般的な情報提供を目的としています。特定の保険商品への加入や契約変更を推奨するものではありません。
制度の適用や保険の補償範囲は、就業実態・契約内容・約款等によって異なります。具体的な判断は関係機関や社会保険労務士、弁護士、税理士等の専門家にご確認ください。
